ときの流れに色あせぬもの

いま書きたいことをいま書く。 緑のふるさと協力隊として山形県小国町(おぐにまち)に移住したわたしの1年間の言の葉。そして、協力隊後のわたし。

「ある精肉店のはなし」のこと。

 

こんばんは、樽川美穂です。

 

横浜生活も3ヶ月目に突入しようとしています。

いま、グラフィックデザイナーの勉強をしているのですが、

その授業もあと1ヶ月で終わりです、早いです(゚o゚;;

 

1ヶ月ほど前に「ある精肉店のはなし」というドキュメンタリーを観ました。

大阪市貝塚市にある北出精肉店を営む家族のはなしです。

肉の販売だけではなく、牛を育て、歩いていける距離にある屠殺場で育てた牛を自らわり、店頭に並べる。先祖代々続き現在は7代目が経営する精肉店です。

一番印象に残ったのは、精肉店のご主人が、

「牛を殺すって言わない。鶏や魚はしめるっていうし、牛や豚はわるっていう。」という言葉。

同じことでもそのものへの関わり方、立ち位置で表現の違いから心構えまでもが違ってくる、そう思いました。

心から「いのちを食べてる。」実感がある人とそうでない人とはいのちに向き合うことに大きな違いがあるんですね。

食べることは動物のいのちを奪うことにもなるから、実際にお肉を食べる多くの人が目を背けちゃいけないことなんだけど、なかなかそうもできない。

当たり前で逃れられないことだから、考えようともしないことになりがちですが、絶対に考えることをやめてはいけないと小国の生活を通してそう思いました。

時代が進むにつれて、シンプルだった「たべるということ」が複雑に絡み合ってしまったんだなと感じます。

昔は、専門に動物をと殺することを仕事にしていた人は、身分が下の部落の人だったようです。このようにと殺の問題にはいつも部落差別が付きまといます。

 

またこのドキュメンタリーには、牛をわる場面が出てきます。と殺場で額を殴られ失神状態になる牛の姿や何度殴っても倒れない牛と必死に向き合う人間。

解体中に牛の心臓が向き出しになり、まだドクンドクンと動いているのをみました。

今わたしが住む横浜に近い、東京都品川区にも屠殺場があり、予約をすると見学ができるようです。行きたいと思ってもなかなか勇気がでなかったので、この映像が見れて少しハードルが下がった気がしています。

「たべもの」について考えたいときは、実際に畜産農家さんに手伝わせてもらうのがいいと思いますし、そのあとに見るとより理解が深まるドキュメンタリーだと思いますが、お肉を食べる多くの人に見ていただきたいドキュメンタリーです。

また、この映像のプロデュースをしている写真家の本橋成一さんが「屠場(とば)という写真集を出版しています。

 

◆ある精肉店のはなし(日本/2012年/108分)

http://www.seinikuten-eiga.com/

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◆屠場(とば)(本橋成一著)

http://book.asahi.com/author/TKY201104130295.html

 

 

そろそろ5月もおわりです。

きょう電話で、小国で鳴くかえるの声が聞こえました(ノ∀`)♪