ときの流れに色あせぬもの

緑のふるさと協力隊として山形県小国町(おぐにまち)に移住したわたしの1年間の言の葉。その後「循環する暮らし」をつくっていく道筋。

さとがえり。

おはようございます。

小国町緑のふるさと協力隊の樽川美穂です。

 

17日から2泊3日で実家のある神奈川県横浜市に一時帰省していました。

それは、小国町を客観的にみる絶好のチャンスでもありました。

物事には何が良くて何が悪いなんてないと思いますが、久しぶりのふるさと横浜で感じたことは、

食べるものは、自分で育てなくても食べられるんだ。

すれ違う人たちは、みんな野菜づくりも山菜採りもできない格好をしている。

小国では、お金も地位も年齢もたいして重要じゃないこと。でも、やっぱり横浜は逆だった。

「食べて生きていくことよりも自己啓発しながら、社会的地位を高めることを意識し、自分磨きをしながら生きる」世の中は、そんな考え方が多数派になっている。

それは、東京、横浜だけでなく帰路に通った新潟駅周辺の地方都市にもいえること。

 

そして、虫にもクマにも襲われる心配のない横浜はとてものんびりで無防備だった。

田舎の人は、のんびりしているとよく言われるけど、違った。

 

そして、再確認したこと。

私が唯一尊敬するアーティスト高橋優さんの曲「同じ空の下」の一節にこんな歌詞がある。
 
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レールなんて敷かれていないし
誰の足跡も残っていない
正しいのかどうかも確かめる術はない
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こんな生き方がしたい。
こんな生き方をするきっかけとして協力隊になった。
レールが敷かれていないところに自らレールを敷きながら進むのはかなり難しくときに辛いことなのだけれどもこの気持ちだけは忘れずにいたい。
協力隊になる前、こんな言葉を書いていた。
 
私は、人を年齢や見た目や肩書きだけで判断し、騙し合いながら上手に渡る社会に生きようとは思わない。
こういう想いは小国にいれば薄れてしまう。でも、わたしが小国にいる間も東京は動いていて少なからず上記の様な社会は存在している。自分は何がしたいのか何ができるのか考えないで小国での一年を過ごそうと思っていたけれど、横浜に来てその気持ちが少し変わった。
 
小国に帰った今思うこと。色々気づいたこと再確認したことはあったけど、あんなに飛び出したかったふるさと横浜は、今のわたしには心地良い場所でした。
 
そして、小国に住んでいることも誇りに思えている。
気がつけて良かった。